MAKI UEDA 作品の美学 (2019)

AESTHETIC OF THE WORKS OF MAKI UEDA (2019年の文章)

はじめに

嗅覚アーティストとしてできることはまず第一に、オーディエンスのために新たな嗅覚体験を提供することであると考える。

嗅覚という感覚は、ついこの間まで生存のためにフル活用されていた。火事を察知したり、暗闇の中で敵を察知したり、食べ物の腐敗を見分けたり。香りの中でも特に薬効成分や殺菌成分のあるものを駆使し、命をつないできた。快楽的なことに使われることがあったとしたら、生殖行為に関わることくらいだったであろうが、これも実用の範疇といってもいい。

より生きやすくなった現代においてようやく、純粋な楽しみのために嗅覚を活用する余裕が出てきたといえる。つまり、歴史はそう長くない。数百年前よりパフュームが登場したことにより、匂い香りをクリエイティブに使ったり、メッセージを表現したり、マニフェストすることが可能になったのだ。

嗅覚アートは、「匂い香りを使ったアート表現」と広義に定義したとしても、まだ始まったばかりの領域である。ほんの100年ちょっとの歴史と考えて良いのではないだろうか。

以上のような経緯から、嗅覚アーティストは、匂い香りの世界の探求はひとまずパフューマリーに譲り、未知の嗅覚体験の方に焦点を当てるべきと考えている。

私自身は2005年より活動を始めている。始めた当初は誰も「嗅覚アート」という言葉を使っている人はいなかったので、わかりやすく「SCENT ART」「SMELL ART」などの言葉を使っていた。しかしある時に、匂い香りよりむしろ、嗅覚に興味があるのだと気づき、2007年ごろより「OLFACTORY ART」という言葉を使い始めた。私はもともとメディア・アート出身で、MIT周辺で使われていた「HAPTIC ART」という言葉にインスピレーションを受けたのだ。同時代的に、他の嗅覚アーティストたちもこの言葉を使い始めたようだった。

最近はたくさんの嗅覚アーティストが存在する。しかし嗅覚アートのエステティックは、まだ混沌とした状態だと言っても過言ではない。この論文には、私のスタンディング・ポイントと、エステティックを描き出そうと思う。

MY STANDING POINTS

OLFACTORY ART IS (SHOULD DEVELOP) LIKE MUSIC

嗅覚アートのオリジナリティはどこにあるのだろうか? たとえばその昔、まだ嗅覚アーティストが少ない時代、シンガポールの街の香りで作品を作った際に、「それは他の作品の真似だ」という指摘を受けたことがある。これは面白い問題を提示していた。

よく調べてみると、その作品も確かに、どこかの街の匂いをコンセプトとしていたが、アプローチやリアライゼーションの方法は全く異なっていたのだ。

このような SCENT SCAPE(街の香り)は実際、多くの嗅覚アーティストのスタートアップ時に選ばれやすいテーマである。ふと嗅覚に注意を向けると、日々歩く街が変わって見えるので、それがインスピレーションとなるのだろう。なので、そのような類の作品やワークショップは、飽きるほど存在する。同様に選ばれやすいテーマは「体臭とアイデンティ」「死の匂い」などである。つまり、身近なものか、臭くてセンセーショナルなものである。

そこで考えた。どこからどこまでが「真似」なのだろうか、と。もし私が世界で初めて SCENT SCAPE を作り、それ自体がコンセプトだと考えるならば。もう他の誰も、街をテーマとした作品をどんな形であれ作ってはいけないと考えるかもしれない。それは、私の「真似」だから。しかし、それはコンセプチャル・アートの考え方に近い。

そこで私は、嗅覚アートは音楽のようであってほしいと考えた。たとえば、ドナウ川にインスピレーションを受けた作曲家が、ドナウ川をテーマにした音楽を作ったとする。だからといって、他の誰も、ドナウ川の音楽を作ってはいけないということにはならない。ドナウ川はあくまで、インスピレーションであり、テーマではあるが、コンセプトではないのだ。

なので、SCENT SCAPE では、「街の匂い」というコンセプトがオリジナリティの中心になってはならない。作品のコンセプトは、もう一段階メタなレベルで作ろう。生徒たちにも、そう教えている。嗅覚アートでは、「ただ感じて」という作品も成り立つかもしれないが、やはりコンセプトを説明しないといけない。同じようなテーマを扱った他の作品とどこがどう違うのか、そしてどこに自分の作品のオリジナリティがあるのか、説明して欲しい。

その上でデータベースや適切な批評がそこに加われば理想的だ。たとえば嗅覚アートに、クラシックやポップなどのカテゴリーがあり、ドナウ川をテーマとしているからといって、クラシックと決まるわけではない、といったふうに。それは結果的に、センセーショナルな作品のみが注目される状態を防ぐだろう。嗅覚アートはこのように健全に発展していって欲しいと思っている。

SCENT IS NEUTRAL

匂いほど、主観的なものはない。たとえば私が体臭についての作品を作ろうと思ったらまず、「体臭の香り」を作るのだろうが、私が考える「体臭の香り」はかなりの確率で、あなたの考える「体臭の香り」とは異なる。しかも、私が作った「体臭の香り」を、あなたが私と同じように捉えるとは限らない。私が「いい匂い」と思っても、あなたが「いやな匂い」と思うかもしれないし、深く嗅ぐことさえ拒否するかもしれない。そのため、匂いに作品のコンセプトを委ねるのは頼りないように私には思える。

匂いは本来、中立的なものではないだろうか。

嗅覚アーティストはしばしば、 作品のコンセプトを香りに委ねてしまいがちである。しかし、匂いは中立と考えるのならば、作品において使用する匂いは「なんでも良い」のではないだろうか。 そのため、「匂いを変えても、コンセプトは変わらない作品」に私は挑戦している。特定の香りを必要としないので、香料会社や調香師に依存する必要もなく、ロー・コストでもある。

MY MAIN CONCEPTS

これまで14年間、その時々の条件や期待に応えながら、さまざまな作品を発表してきたが。コアとしているいくつかのコンセプトがある。それはすなわち、私のリサーチ・テーマでもある。

1: EXTRACTION & REPRESENTATION

活動初期の作品(2005〜2008あたり)は、特にこのテーマを探求している。得意とする料理から抽出法のヒントを得て、いくつかの蒸留法も含むスキルを独自に身につけ、体系化した。そのため、「何でも抽出できる魔術師」的な作家のようにも見えるが、実はそこに最終目的があるわけではない。

何でも抽出できるということは、香りをコンパクトにして遠くまで運んだり、あるいは時を超えてあらためて提示することができる、ということである。どの匂いにも、その匂いの時間軸と空間軸がある。それをずらし、異なるコンテキストを選ぶことによって、興味深い嗅覚体験が可能になる。

例:

空間軸をずらした作品: AROMASCAPE OF SINGAPORE

シンガポールの匂いを学生とリサーチし、ワークショップで抽出した上で、縮小地図にマッピングして展示した。

時間軸をずらした作品: THE JUICE OF WAR – HIROSHIMA & NAGASAKI –

1945年の広島と長崎の原爆投下後の匂いを、シミュレーションして、オリジナルなインターフェースで現代によみがえらせた。

2: DE-CONSTRUCTION & RE-CONSTRUCTION

匂いは、空間中で混ざり合うという物理特性を持っている。香りAを焚いて、その隣で香りBを焚くと、部屋の中で香りが混ざってしまい、よほど近づかない限り判別ができなくなる。その特性を利用して、空間の異なる場所に異なる香りを配置し、自由に動き回ることで香りにズーム・イン&ズーム・アウトする体験ができる空間インスタレーション群を製作している。

ズーム・インすると個々の香りを嗅ぐことができるし(DE-CONSTRUCTION)、ズーム・アウトすると混ざったトータルの香りを嗅ぐことができる(RE-CONSTRUCTION)。嗅覚をフルに使いながら、香りをより物理的にタンジブルに理解する手がかりとなる、やや教育的な作品群である。

例:

OLFACTOSCAPE – DECONSTRUCTION OF CHANEL NO. 5 –

円筒状の空間の内壁を10個のパートにわけ、各パートを単体香料で匂い付け。使用香料は、シャネル5番に使われているトップ10の香料である。真ん中に立つと、それらが混ざったトータルの香り(シャネル5番の香り)が嗅げる。

TANGIBLE SCENTS – COMPOSITION OF ROSE IN THE AIR –

ローズを構成するトップ5の成分でそれぞれ香りづけしたシャボン玉液を用意し、5台のシャボン玉マシンより飛ばす。シャボン玉を割ると、異なる香りがするが、そのあたりの野原には、全ての成分が混ざった「ローズの香り」が漂う。

3: SCENT-DRIVEN COMMUNICATION

匂いとは私たちにとってなんだろうか。動植物の世界では、匂いは生殖と生存のためのコミュニケーション・シグナル(フェロモン)である。しかし人間の世界では、そういう意味のフェロモンはないとされている。それに、冒頭に述べたように、時代の変化により、嗅覚の役割が変わりつつある。

香道のように、匂いを嗅ぎ別けながら、匂いの要素(たとえば香木のドライな部分)などを初冬の空にかけあわせながら、イメージの世界をプレーヤー同士で共有する遊びにおいては、香りは情報であると言っても過言ではない。

このような洗練された嗅覚の持ち主は、人間だけである。嗅覚の役割が時代によって変わりつつある今、この可能性をもっと探れないだろうか。

例:

1. 匂いをモールス信号的に使用

OLFACTORY GAMES

10年以上、オランダ王立美術アカデミーで嗅覚アートの授業を持っており、そこで学生に嗅覚のためのゲームを作ってもらっている。例としてまず、匂いの神経衰弱(MEMORY GAME)や匂いのハンカチ落とし(OLFACTORY DUCK DUCK GOOSE)を紹介し、プレーしてもらっている。すでに70種類以上のゲームが制作されており、学生たちの想像力はとどまるところを知らない。匂いをモールス信号のように扱うプロトタイピングの実験である。                          

2. 匂いにメタファーを乗せる

KYOTO LOVE STORY

源氏物語(約1200AC)の世界では、男女の出会いは御簾越しであり、直接話すことも許されなかった。コミュニケーションはメッセンジャーを介してか、詩歌、匂い香りを通して。このコミュニケーション・プロトコルに則った、ブラインド・デート・イベントである。

高コンテキスト下における匂いのコミュニケーションの実験であった。たとえば、冬至のメタファーである柚子を女性にプレゼントした男性がいた。ここで柚子の香りは、「冬至に柚子湯に入ると風邪をひかないというから、これで体をあたためてください」という思いやりを相手に運ぶメディウムとなる。

4: SCENT-DRIVEN MOVEMENT

視覚的要素を排除し、匂いだけを頼りに空間を動き回る体験ができる作品群である。人間も犬のように、右に左にクンクンすることで、濃度の差異を感じ取り、匂いのソースへと辿り着くことができる。全方向嗅覚 OMNI DIRECTIONAL SMELLING の実験でもある。

例:

INVISIBLE WHITE

角のない、影のない、遠近感のない white out した空間で、匂いだけを頼りに歩き回る作品。3つの匂いを空間中に流すとき、タイミングをずらすことにより、匂い同士の混ざり方を常に変化させた。RGBのように「見えないグラデーション」が作られ、一歩前に進むと常に違う香りがする空間が生まれた。

OLFACTORY LABYRINTH VER.2

入り口から常に同じ匂いを辿ると出口にたどり着くという、ほんものの迷路。トータルで4種の香りを嗅ぎわけなければいけない。

OLFACTORY LABYRINTH VER.4

9x9のマトリクス状に吊り下げられたボトルを嗅ぎながら、3本の見えない「桜の木」を探すという、お花見の陣取りゲーム的な要素のある迷路。桜に近くなる程、匂いが強くなる。匂いの刺激と濃度に関して、フェヒナーの法則(ログ対数)を応用。

FUTURE PERSPECTIVES

作家とは、そのエステティックの力で、「人間とは何か」「生きるとは何か」などのクエスチョンを、作品を通して問い続ける人であると考えている。私自身がそれをトランスレートするならば「人間の嗅覚にはどんな可能性が秘められているか」という問いかもしれない。

もしアカデミックな論文手法に例えるなら、作家としてのスタンディングポイントが「仮説」といえるかもしれない。そして、できあがあった作品が「答え」であり「結論」になる。そして順序は逆になるが、オーディエンスの体験そのものが、「証明」である。作家は、オーディエンスが作品とどうやりとりするかを、あれこれ想像しながら「結論」を形作っていく。

最近は TANGIBLE SCENTS のように、嗅覚と触覚・視覚の間を詩的に探る作品を作り始めている。このような実験をたくさん重ね、人間の嗅覚の可能性をとことん追求し、さらに進化させることができたらと考えている。