嗅覚アートについて (2008)

 嗅覚アートについて (2008年の文章)

04私は自らの芸術活動において、匂いを媒体として扱い、嗅覚をアートの対象としています。一般的に匂いや香りは、香水やトイレタリー製品、フレーバーやアロマテラピーなど幅広く実用的に応用されています。一方でわたしが焦点を当てているのは、匂いにより引き起こされる記憶や感情、そして嗅覚が新たに切り開く知覚や体験などです。まるで絵を展示するように、作品として匂いを提示しています。


現在アートの世界においてこうして嗅覚に真っ正面から取り組む作家はほとんど皆無といえます。それもあり、世界初と称された匂いのみで構成された展覧会 “ If there ever was”2008年イギリス) に作家として参加するという栄誉をいただきました。09 

現代において世界のほとんどの作家やパフューマーが既製品の香料を用いるのに対し、私はその香料を一から作っています。一般的に商業的には安価で安定していて品質管理のしやすい合成香料が好まれますが、私はその正反対である天然香料にこそ焦点を当て、素材から匂いを抽出しています。匂いをメディウムとして扱うために、素材のレベルで何が起こっているのかを知りたいからです。天然香料には合成香料とは比較にならないような深遠さがあります。合成香料は単一分子で構成されるか、あるいはいくつかの種類の足し算で作られるものですが、天然香料にはもともと数えられないほどの種類の分子が含まれています。例えばイチゴ味のフレーバー付きキャンディがしばしば本物のイチゴの味とかけはなれているのを、誰もが経験として知っているでしょう。

私は精油を抽出する蒸留法や油浸法など化学的手法を参考にしながら、天然の匂いを自ら抽出しています。ときに調理の化学なども参考にしています。展示の際、抽出した匂いを揮発させるには、アトマイザーや香水瓶、線香、マイクロカプセルによる印刷など様々な形をとります。インスタレーションやライブ・パフォーマンスという方法をとることもありますが、ワークショップという形で体験を共有する方法をとることもあります。領域横断的なパフォーマンス作品で、匂いを空間薫香するなど、舞台作家とコラボレーションすることもあります。

近年、地域特有の匂いについてリサーチし、オン・サイトでの抽出を試みています。その対象となる匂いは食べ物や飲み物、素材、人、植物、環境などの日常の匂いです。その結果として形となった作品群が Aromatic Journey (http://www.ueda.nl/aromatic_journey1) シリーズです。地域特有の文化を、匂いといった手法によって探求し経験するものです。作品を鑑賞する人々は、匂いを嗅ぐことで、その文化のエッセンス(核)を直感的に体験します。これら作品としての香水は、着用するためのものというよりは、匂いそのものが鑑賞の対象です。記憶やイマジネーションを想起させる装置でもあります。地域外の人にとってエギゾチックな匂いはすなわち地域を再発見する匂いでもあり、その地域性を掘り起こす試みです。

嗅覚の嗜好はもともと地域に強く根付いたものです。匂い分子が揮発しやすいというその化学的性質に所以します。そのためそれぞれの土地には固有の匂いの表徴が存在します。しかし現代における急激なライフスタイルの変化により、これら自然な日常の匂いも消えつつあります。大量生産された合成香料が日常のいたるところを支配し、もともとの匂いに取って変わるのです。日本の路上でもヨーロッパのようにシャネル5番の匂いがしますし、同じ石鹸が世界中どこでも手に入ります。このような匂いの世界画一化は急速に進んでいると考えています。

匂いに取り組み始める前は、グローバル意識と言葉を超えたコミュニケーションをテーマとしながら、メディア・アートの作品を作ってきました。2003年から1年間オランダとインドネシアの公共空間に常設展示した Hole in the Earth という作品がその一例です。双方向の映像ストリーミング技術を応用したもので、「地球の穴」の両端同士で映像と音声を交換し合うといった作品です。その設置のためにインドネシアを訪れたとき、そこの道ばたの匂いを、良い匂いも嫌な臭いもまとめてストリーミングしたいと思ったものでした。それが匂いに取り組むひとつのきっかけとなり、現在に至ります。

20074月より、ベルギー・ブラッセルを拠点としたアート & サイエンスの実験的 研究所 FoAMにて、アーティスト・イ ン・レジデンスしています。匂いの研究に対し2007年、ポーラ美術振興財団から在外研修助成をいただきました。