MAKI UEDA
*最近の多くの作品は海外発表のため、English モードにてのみご覧になれます。随時和訳中です。
MAKI UEDA (JP / NL)
嗅覚アーティスト
1974年、東京生まれ。2000年よりオランダ在住。現在は、石垣島に拠点を置き、アトリエ・マキ・ウエダ を構える。http://www.pepe.okinawa
アートと嗅覚の融合を試みる、「匂いのアーティスト」。新しいアートとして注目を集める嗅覚アート・シーンの、世界的なリーディング・アーティスト。wikipediaの「嗅覚アート」 "olfacory art"の項にも代表作家の一人として名を連ねる。
慶應義塾大学環境情報学部(学部1997卒&修士1999卒)にて、藤幡正樹氏に師事し、メディア・アートを学ぶ。2000年文化庁派遣若手芸術家として、2007年ポーラ財団派遣若手芸術家として、オランダ&ベルギーに滞在。2009年よりオランダ王立美術学校&音楽院の学部間学科Art Science や、ロッテルダム美大ウィレム・デ・コーニングアカデミー、岐阜県立情報科学芸術大学院大学にて教鞭をとる。世界初の嗅覚アートの授業として知られる。国内では独自の通信講座やオンライン講座を開講し、教育普及に励む。仏グラース・インスティテュート・オブ・パフューマリー(GIP)サマーコース修了。
匂いをデータや情報としてニュートラルに、かつサイエンティフィックに扱うアプローチを特徴としている。近年は、空間、ムーブメント、そして嗅覚のクロスオーバーする領域においてインスタレーションを制作。「嗅覚のための迷路」シリーズ、「OLFACTOSCAPE」「白い闇」などがある。文脈や内容を強調するために匂いを使うのではなく、あくまでも「嗅覚」に焦点を置き、説明不要な体験を創出する。
食物、環境臭、そして体臭など、日常のありのままの匂いを素材から抽出し、「香水化」する技術を持つ。それは調理法から編み出した独自の方法でもある。2005年に嗅覚アートを始めて以来、それをブログでオープンソース化することで、多くの作家に影響を与える。
世界的な嗅覚アートの殿堂、アート・アンド・オルファクション・アワード サダキチ・カテゴリーに5年連続ノミネート。2022年には最優秀賞を受賞している。
味と匂い学会会員。
ウィキペディア: 「上田麻希」
オンライン・ポートフォリオ: www.ueda.nl
オンライン CV
アトリエとオンライン・アカデミー: www.pepe.okinawa
(海外の活動が主であるため、作家名は日本語でも統一して 「MAKI UEDA」 とすることが多いが、近年は本名の「上田麻希」を使用。出身国表記は、「日本/オランダ」。)
アワード:
2009年、ワールド・テクノロジー・アワード(アート・カテゴリー)ノミネート
2016年、第3回アート・アンド・オルファクション・アワード ファイナリスト(サダキチ・アワード)
2018年、第5回アート・アンド・オルファクション・アワード ファイナリスト(サダキチ・アワード)
2019年、第6回アート・アンド・オルファクション・アワード ファイナリスト(サダキチ・アワード)
2020年、第7回アート・アンド・オルファクション・アワード ファイナリスト(サダキチ・アワード)
2022年、第8回アート・アンド・オルファクション・アワード 優勝(サダキチ・アワード)
2023年、第9回アート・アンド・オルファクション・アワード ファイナリスト(サダキチ・アワード)
領域:
- 嗅覚のためのインスタレーション (含 屋外、サイトスペシフィック)
- アート作品としての香水
- 嗅覚と他感覚間のリサーチ・プロジェクト
- 嗅覚のためのパフォーマンス作品
- 嗅覚のアート・ワークショップ(子供用+大人用)
- 嗅覚に焦点を当てたフード・アート・イベント
- 嗅覚をテーマにした美大での授業
MAKI UEDA 作品の美学 (2019)
AESTHETIC OF THE WORKS OF MAKI UEDA (2019年の文章)
はじめに
嗅覚アーティストとしてできることはまず第一に、オーディエンスのために新たな嗅覚体験を提供することであると考える。
嗅覚という感覚は、ついこの間まで生存のためにフル活用されていた。火事を察知したり、暗闇の中で敵を察知したり、食べ物の腐敗を見分けたり。香りの中でも特に薬効成分や殺菌成分のあるものを駆使し、命をつないできた。快楽的なことに使われることがあったとしたら、生殖行為に関わることくらいだったであろうが、これも実用の範疇といってもいい。
より生きやすくなった現代においてようやく、純粋な楽しみのために嗅覚を活用する余裕が出てきたといえる。つまり、歴史はそう長くない。数百年前よりパフュームが登場したことにより、匂い香りをクリエイティブに使ったり、メッセージを表現したり、マニフェストすることが可能になったのだ。
嗅覚アートは、「匂い香りを使ったアート表現」と広義に定義したとしても、まだ始まったばかりの領域である。ほんの100年ちょっとの歴史と考えて良いのではないだろうか。
以上のような経緯から、嗅覚アーティストは、匂い香りの世界の探求はひとまずパフューマリーに譲り、未知の嗅覚体験の方に焦点を当てるべきと考えている。
私自身は2005年より活動を始めている。始めた当初は誰も「嗅覚アート」という言葉を使っている人はいなかったので、わかりやすく「SCENT ART」「SMELL ART」などの言葉を使っていた。しかしある時に、匂い香りよりむしろ、嗅覚に興味があるのだと気づき、2007年ごろより「OLFACTORY ART」という言葉を使い始めた。私はもともとメディア・アート出身で、MIT周辺で使われていた「HAPTIC ART」という言葉にインスピレーションを受けたのだ。同時代的に、他の嗅覚アーティストたちもこの言葉を使い始めたようだった。
最近はたくさんの嗅覚アーティストが存在する。しかし嗅覚アートのエステティックは、まだ混沌とした状態だと言っても過言ではない。この論文には、私のスタンディング・ポイントと、エステティックを描き出そうと思う。
MY STANDING POINTS
OLFACTORY ART IS (SHOULD DEVELOP) LIKE MUSIC
嗅覚アートのオリジナリティはどこにあるのだろうか? たとえばその昔、まだ嗅覚アーティストが少ない時代、シンガポールの街の香りで作品を作った際に、「それは他の作品の真似だ」という指摘を受けたことがある。これは面白い問題を提示していた。
よく調べてみると、その作品も確かに、どこかの街の匂いをコンセプトとしていたが、アプローチやリアライゼーションの方法は全く異なっていたのだ。
このような SCENT SCAPE(街の香り)は実際、多くの嗅覚アーティストのスタートアップ時に選ばれやすいテーマである。ふと嗅覚に注意を向けると、日々歩く街が変わって見えるので、それがインスピレーションとなるのだろう。なので、そのような類の作品やワークショップは、飽きるほど存在する。同様に選ばれやすいテーマは「体臭とアイデンティ」「死の匂い」などである。つまり、身近なものか、臭くてセンセーショナルなものである。
そこで考えた。どこからどこまでが「真似」なのだろうか、と。もし私が世界で初めて SCENT SCAPE を作り、それ自体がコンセプトだと考えるならば。もう他の誰も、街をテーマとした作品をどんな形であれ作ってはいけないと考えるかもしれない。それは、私の「真似」だから。しかし、それはコンセプチャル・アートの考え方に近い。
そこで私は、嗅覚アートは音楽のようであってほしいと考えた。たとえば、ドナウ川にインスピレーションを受けた作曲家が、ドナウ川をテーマにした音楽を作ったとする。だからといって、他の誰も、ドナウ川の音楽を作ってはいけないということにはならない。ドナウ川はあくまで、インスピレーションであり、テーマではあるが、コンセプトではないのだ。
なので、SCENT SCAPE では、「街の匂い」というコンセプトがオリジナリティの中心になってはならない。作品のコンセプトは、もう一段階メタなレベルで作ろう。生徒たちにも、そう教えている。嗅覚アートでは、「ただ感じて」という作品も成り立つかもしれないが、やはりコンセプトを説明しないといけない。同じようなテーマを扱った他の作品とどこがどう違うのか、そしてどこに自分の作品のオリジナリティがあるのか、説明して欲しい。
その上でデータベースや適切な批評がそこに加われば理想的だ。たとえば嗅覚アートに、クラシックやポップなどのカテゴリーがあり、ドナウ川をテーマとしているからといって、クラシックと決まるわけではない、といったふうに。それは結果的に、センセーショナルな作品のみが注目される状態を防ぐだろう。嗅覚アートはこのように健全に発展していって欲しいと思っている。
SCENT IS NEUTRAL
匂いほど、主観的なものはない。たとえば私が体臭についての作品を作ろうと思ったらまず、「体臭の香り」を作るのだろうが、私が考える「体臭の香り」はかなりの確率で、あなたの考える「体臭の香り」とは異なる。しかも、私が作った「体臭の香り」を、あなたが私と同じように捉えるとは限らない。私が「いい匂い」と思っても、あなたが「いやな匂い」と思うかもしれないし、深く嗅ぐことさえ拒否するかもしれない。そのため、匂いに作品のコンセプトを委ねるのは頼りないように私には思える。
匂いは本来、中立的なものではないだろうか。
嗅覚アーティストはしばしば、 作品のコンセプトを香りに委ねてしまいがちである。しかし、匂いは中立と考えるのならば、作品において使用する匂いは「なんでも良い」のではないだろうか。 そのため、「匂いを変えても、コンセプトは変わらない作品」に私は挑戦している。特定の香りを必要としないので、香料会社や調香師に依存する必要もなく、ロー・コストでもある。
MY MAIN CONCEPTS
これまで14年間、その時々の条件や期待に応えながら、さまざまな作品を発表してきたが。コアとしているいくつかのコンセプトがある。それはすなわち、私のリサーチ・テーマでもある。
1: EXTRACTION & REPRESENTATION
活動初期の作品(2005〜2008あたり)は、特にこのテーマを探求している。得意とする料理から抽出法のヒントを得て、いくつかの蒸留法も含むスキルを独自に身につけ、体系化した。そのため、「何でも抽出できる魔術師」的な作家のようにも見えるが、実はそこに最終目的があるわけではない。
何でも抽出できるということは、香りをコンパクトにして遠くまで運んだり、あるいは時を超えてあらためて提示することができる、ということである。どの匂いにも、その匂いの時間軸と空間軸がある。それをずらし、異なるコンテキストを選ぶことによって、興味深い嗅覚体験が可能になる。
例:
空間軸をずらした作品: AROMASCAPE OF SINGAPORE
シンガポールの匂いを学生とリサーチし、ワークショップで抽出した上で、縮小地図にマッピングして展示した。
時間軸をずらした作品: THE JUICE OF WAR - HIROSHIMA & NAGASAKI -
1945年の広島と長崎の原爆投下後の匂いを、シミュレーションして、オリジナルなインターフェースで現代によみがえらせた。
2: DE-CONSTRUCTION & RE-CONSTRUCTION
匂いは、空間中で混ざり合うという物理特性を持っている。香りAを焚いて、その隣で香りBを焚くと、部屋の中で香りが混ざってしまい、よほど近づかない限り判別ができなくなる。その特性を利用して、空間の異なる場所に異なる香りを配置し、自由に動き回ることで香りにズーム・イン&ズーム・アウトする体験ができる空間インスタレーション群を製作している。
ズーム・インすると個々の香りを嗅ぐことができるし(DE-CONSTRUCTION)、ズーム・アウトすると混ざったトータルの香りを嗅ぐことができる(RE-CONSTRUCTION)。嗅覚をフルに使いながら、香りをより物理的にタンジブルに理解する手がかりとなる、やや教育的な作品群である。
例:
OLFACTOSCAPE - DECONSTRUCTION OF CHANEL NO. 5 -
円筒状の空間の内壁を10個のパートにわけ、各パートを単体香料で匂い付け。使用香料は、シャネル5番に使われているトップ10の香料である。真ん中に立つと、それらが混ざったトータルの香り(シャネル5番の香り)が嗅げる。
TANGIBLE SCENTS - COMPOSITION OF ROSE IN THE AIR -
ローズを構成するトップ5の成分でそれぞれ香りづけしたシャボン玉液を用意し、5台のシャボン玉マシンより飛ばす。シャボン玉を割ると、異なる香りがするが、そのあたりの野原には、全ての成分が混ざった「ローズの香り」が漂う。
3: SCENT-DRIVEN COMMUNICATION
匂いとは私たちにとってなんだろうか。動植物の世界では、匂いは生殖と生存のためのコミュニケーション・シグナル(フェロモン)である。しかし人間の世界では、そういう意味のフェロモンはないとされている。それに、冒頭に述べたように、時代の変化により、嗅覚の役割が変わりつつある。
香道のように、匂いを嗅ぎ別けながら、匂いの要素(たとえば香木のドライな部分)などを初冬の空にかけあわせながら、イメージの世界をプレーヤー同士で共有する遊びにおいては、香りは情報であると言っても過言ではない。
このような洗練された嗅覚の持ち主は、人間だけである。嗅覚の役割が時代によって変わりつつある今、この可能性をもっと探れないだろうか。
例:
1. 匂いをモールス信号的に使用
OLFACTORY GAMES
10年以上、オランダ王立美術アカデミーで嗅覚アートの授業を持っており、そこで学生に嗅覚のためのゲームを作ってもらっている。例としてまず、匂いの神経衰弱(MEMORY GAME)や匂いのハンカチ落とし(OLFACTORY DUCK DUCK GOOSE)を紹介し、プレーしてもらっている。すでに70種類以上のゲームが制作されており、学生たちの想像力はとどまるところを知らない。匂いをモールス信号のように扱うプロトタイピングの実験である。
2. 匂いにメタファーを乗せる
KYOTO LOVE STORY
源氏物語(約1200AC)の世界では、男女の出会いは御簾越しであり、直接話すことも許されなかった。コミュニケーションはメッセンジャーを介してか、詩歌、匂い香りを通して。このコミュニケーション・プロトコルに則った、ブラインド・デート・イベントである。
高コンテキスト下における匂いのコミュニケーションの実験であった。たとえば、冬至のメタファーである柚子を女性にプレゼントした男性がいた。ここで柚子の香りは、「冬至に柚子湯に入ると風邪をひかないというから、これで体をあたためてください」という思いやりを相手に運ぶメディウムとなる。
4: SCENT-DRIVEN MOVEMENT
視覚的要素を排除し、匂いだけを頼りに空間を動き回る体験ができる作品群である。人間も犬のように、右に左にクンクンすることで、濃度の差異を感じ取り、匂いのソースへと辿り着くことができる。全方向嗅覚 OMNI DIRECTIONAL SMELLING の実験でもある。
例:
INVISIBLE WHITE
角のない、影のない、遠近感のない white out した空間で、匂いだけを頼りに歩き回る作品。3つの匂いを空間中に流すとき、タイミングをずらすことにより、匂い同士の混ざり方を常に変化させた。RGBのように「見えないグラデーション」が作られ、一歩前に進むと常に違う香りがする空間が生まれた。
OLFACTORY LABYRINTH VER.2
入り口から常に同じ匂いを辿ると出口にたどり着くという、ほんものの迷路。トータルで4種の香りを嗅ぎわけなければいけない。
OLFACTORY LABYRINTH VER.4
9x9のマトリクス状に吊り下げられたボトルを嗅ぎながら、3本の見えない「桜の木」を探すという、お花見の陣取りゲーム的な要素のある迷路。桜に近くなる程、匂いが強くなる。匂いの刺激と濃度に関して、フェヒナーの法則(ログ対数)を応用。
FUTURE PERSPECTIVES
作家とは、そのエステティックの力で、「人間とは何か」「生きるとは何か」などのクエスチョンを、作品を通して問い続ける人であると考えている。私自身がそれをトランスレートするならば「人間の嗅覚にはどんな可能性が秘められているか」という問いかもしれない。
もしアカデミックな論文手法に例えるなら、作家としてのスタンディングポイントが「仮説」といえるかもしれない。そして、できあがあった作品が「答え」であり「結論」になる。そして順序は逆になるが、オーディエンスの体験そのものが、「証明」である。作家は、オーディエンスが作品とどうやりとりするかを、あれこれ想像しながら「結論」を形作っていく。
最近は TANGIBLE SCENTS のように、嗅覚と触覚・視覚の間を詩的に探る作品を作り始めている。このような実験をたくさん重ね、人間の嗅覚の可能性をとことん追求し、さらに進化させることができたらと考えている。
嗅覚アートについて (2008)
嗅覚アートについて (2008年の文章)
私は自らの芸術活動において、匂いを媒体として扱い、嗅覚をアートの対象としています。一般的に匂いや香りは、香水やトイレタリー製品、フレーバーやアロマテラピーなど幅広く実用的に応用されています。一方でわたしが焦点を当てているのは、匂いにより引き起こされる記憶や感情、そして嗅覚が新たに切り開く知覚や体験などです。まるで絵を展示するように、作品として匂いを提示しています。
現在アートの世界においてこうして嗅覚に真っ正面から取り組む作家はほとんど皆無といえます。それもあり、世界初と称された匂いのみで構成された展覧会 “ If there ever was”(2008年イギリス) に作家として参加するという栄誉をいただきました。
現代において世界のほとんどの作家やパフューマーが既製品の香料を用いるのに対し、私はその香料を一から作っています。一般的に商業的には安価で安定していて品質管理のしやすい合成香料が好まれますが、私はその正反対である天然香料にこそ焦点を当て、素材から匂いを抽出しています。匂いをメディウムとして扱うために、素材のレベルで何が起こっているのかを知りたいからです。天然香料には合成香料とは比較にならないような深遠さがあります。合成香料は単一分子で構成されるか、あるいはいくつかの種類の足し算で作られるものですが、天然香料にはもともと数えられないほどの種類の分子が含まれています。例えばイチゴ味のフレーバー付きキャンディがしばしば本物のイチゴの味とかけはなれているのを、誰もが経験として知っているでしょう。
私は精油を抽出する蒸留法や油浸法など化学的手法を参考にしながら、天然の匂いを自ら抽出しています。ときに調理の化学なども参考にしています。展示の際、抽出した匂いを揮発させるには、アトマイザーや香水瓶、線香、マイクロカプセルによる印刷など様々な形をとります。インスタレーションやライブ・パフォーマンスという方法をとることもありますが、ワークショップという形で体験を共有する方法をとることもあります。領域横断的なパフォーマンス作品で、匂いを空間薫香するなど、舞台作家とコラボレーションすることもあります。
近年、地域特有の匂いについてリサーチし、オン・サイトでの抽出を試みています。その対象となる匂いは食べ物や飲み物、素材、人、植物、環境などの日常の匂いです。その結果として形となった作品群が Aromatic Journey (http://www.ueda.nl/aromatic_journey1) シリーズです。地域特有の文化を、匂いといった手法によって探求し経験するものです。作品を鑑賞する人々は、匂いを嗅ぐことで、その文化のエッセンス(核)を直感的に体験します。これら作品としての香水は、着用するためのものというよりは、匂いそのものが鑑賞の対象です。記憶やイマジネーションを想起させる装置でもあります。地域外の人にとってエギゾチックな匂いはすなわち地域を再発見する匂いでもあり、その地域性を掘り起こす試みです。
嗅覚の嗜好はもともと地域に強く根付いたものです。匂い分子が揮発しやすいというその化学的性質に所以します。そのためそれぞれの土地には固有の匂いの表徴が存在します。しかし現代における急激なライフスタイルの変化により、これら自然な日常の匂いも消えつつあります。大量生産された合成香料が日常のいたるところを支配し、もともとの匂いに取って変わるのです。日本の路上でもヨーロッパのようにシャネル5番の匂いがしますし、同じ石鹸が世界中どこでも手に入ります。このような匂いの世界画一化は急速に進んでいると考えています。
匂いに取り組み始める前は、グローバル意識と言葉を超えたコミュニケーションをテーマとしながら、メディア・アートの作品を作ってきました。2003年から1年間オランダとインドネシアの公共空間に常設展示した Hole in the Earth という作品がその一例です。双方向の映像ストリーミング技術を応用したもので、「地球の穴」の両端同士で映像と音声を交換し合うといった作品です。その設置のためにインドネシアを訪れたとき、そこの道ばたの匂いを、良い匂いも嫌な臭いもまとめてストリーミングしたいと思ったものでした。それが匂いに取り組むひとつのきっかけとなり、現在に至ります。
2007年4月より、ベルギー・ブラッセルを拠点としたアート & サイエンスの実験的 研究所 FoAMにて、アーティスト・イ ン・レジデンスしています。匂いの研究に対し2007年、ポーラ美術振興財団から在外研修助成をいただきました。